父の思い出話を聞く・・・ wang


父は今年91歳。いまも上海で健在です。旧正月に帰省した折、ぼくが持っていた『李香蘭の恋人』(田村志津枝著)に興味を示したので、父にプレゼントしました。父は若い頃に、3年半の日本留学経験がありますが、その後は日本とは無縁の生活でした。
ところが驚いたことに、父はこの本を読破しました。この本を読んで父の脳裏に浮かんだ思い出話を、先日聞いてきました。


劉吶鴎の暗殺事件は、当時の上海ではとても大きいニュースだったそうです。
人々は劉吶鴎を「大漢奸」と呼び、表面的には「殺されて当然」という態度でした。けれど内心では、自分の身が心配で仕方がなかったそうです。あれくらいのことで「漢奸」として殺されてしまうなら、自分も殺されるかも知れない。それが人々の心配のタネだったと父は言いました。


それから5年後に戦争が終わったとき、こんどは李香蘭が「漢奸」として処刑されたというウワサが流れました。
李香蘭は確かに歌手としてとても人気があった。けれどトップの人気ではなかった。白光や周璇などの方が、やはり人気はだいぶ上だった。その理由は、李香蘭は声はきれいだけれど、人生の悲しみを深くうたう点では、あまり上手ではなかった。それに李香蘭は、権力者の間を渡り歩いているというウワサも一部ではあった。
そうでなければ偽満州国のスターが、なぜ上海の舞台に躍り出ることができたのかと、皆が疑いの気持ちをもっていたそうです。


その劉吶鴎と李香蘭が、待ち合わせをするくらいの親しい間柄だったかどうかは、父も知らないし、ウワサも聞いたことはないそうです。
ただ、あまり現実感はないな、というのが父の感想でした。その理由は、二人の待ち合わせ場所とされるフランス租界は、とくに日米開戦前のこのころにはとても反日勢力が強かったから、日本軍の手先のように思われていた李香蘭が行くのは難しいのではないか、とのことです。


だから李香蘭が、劉吶鴎が殺されたときに、彼と待ち合わせて彼を待ってたというのが本当なら、やはり彼女はこの事件をめぐるさまざまな質問に対して答えて欲しいと、父は言っていました。当時のフランス租界のようすが、彼女の目にはどう映ったかが、最も興味があるそうです。


父は、この本の意図を正確に理解したと、ぼくは考えています。
けれど日本人のなかに、この本の意図を理解せずに、著者の主張を逆に受け取っている人がいるのが、ぼくには不思議です。なぜなのでしょう? 中国の歴史の知識が足りないからなのか、それともほかの理由があるのでしょうか?