私たちは李香蘭じゃない・・・ Lo

私はシンガポール出身で、香港と東京で長年暮らしています。
通信員で、中国語の新聞記事を書いています。
採用されることは少ないけれど、日本語・英語の記事も書きます。


李香蘭は、母の世代からよく聞かされてきました。
日本に来てから、李香蘭に関心を持って取材をしましたが、すぐ失望しました。
日本では李香蘭は悲劇のヒロインで、彼女自身が何をしたかが追求されることはないと感じたからです。


映画評論家Yが、中国返還前の香港人女性監督Cの発言を紹介して、次のようなことを書いていました。
この女性監督Cは、90年代に李香蘭の映画を撮ろうとしていたそうです。
その理由を、CはYに対して「わたしたち香港人は皆李香蘭だから」と語ったそうです。
Yは、このことを次のように説明しています。「(満州に育って)まだ見たことのない祖国に憧れてきた少女時代の李香蘭の心情は、5年後の中国返還を前に期待と不安を抱いている香港人の心情と同じだ」


Cの発言の真偽は分かりませんが、Yの解釈は大きな欺瞞なだけでなく、私たちへの侮辱です。
李香蘭満州に育っても、日本人としての特権を最大限享受していた。
香港人は、誰にも守られることなく、植民地人を脱却すると同時に共産党独裁に対峙しなければならなかったのです。
李香蘭となど、比べて欲しくはない、というのが香港人の気持ちです。


これは、日本での李香蘭取材をめぐるエピソードの中の、ひとつの例に過ぎません。
けれどこの例でも分かるように、日本では李香蘭の最も重要なポイントを扱おうとしない人が余りに多いです。
一番重要なポイントとは何かと言えば、軍国主義に利用されてとは言っても、大勢の中国人を騙したことです。
そんなことをしてしまった償いは、できるのかどうか、私にも分かりません。
でも償う気持ちがあるのならば、彼女にしか分からないことを、彼女は語らなければならないと思います。


李香蘭の自伝は、中国でも翻訳されました。けれど信じない人が多いです。スターは、皆に賛美されて、その美しい思い出しか語りたがらないから、仕方がないでしょう。
けれど、李香蘭は年を取ってから初めて、台湾人映画監督・劉吶鴎と親しかったと告白しました。


李香蘭も、劉吶鴎も、日本軍に利用されて、軍国主義のための映画作りに携わった。
同じ時同じ場所にいて、劉吶鴎は殺された。誰も助けてはくれなかった。やはり、台湾人だったからではないでしょうか。
李香蘭は中国人のフリをしながら、日本人であったために日本軍や中国親日政権の手厚い保護を受けて、生き延びた。
李香蘭が、劉吶鴎が殺されたときに、どこで誰と何をしていたか、疑問を感じている人は多いです。
李香蘭が口を開くのを見守っている人も、とても多いです。私ももちろんその一人です。